しめっぽいレポート

ぴぴぴというひとがおわらいさんをみている

2017/11/2 弱い人たち第3回コント公演「しあわせになりたい」

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ひとびとが円山町に行く目的をかんがえればひとりで歩いていることがもう弱いって感じもするのですが、映画だったり、お笑いのライブだったり、あとはたまに音楽のライブにも行くので、ひとりで行くしかない円山町、きょうは「弱い人たち」(ラブレターズ塚本・ゾフィー上田・ポテンシャル聡・玉田企画玉田)の第3回コント公演『しあわせになりたい』を観に、ユーロライブへ行ってきました。

開演5分前、トイレに行こうと客席を出ると、三四郎の相田さんが入口付近にいらっしゃいました。おおお、と思ってると、おそらく喫煙所から楽屋口へ戻る途中の塚本さん&芝さんがいらっしゃって、
塚本「えっ有名人いる」
芝「相田きてんじゃん(笑)」
とおはなしされていました。ちょうど相田さんと芝さんの間にトイレがあったのでおしっこ行きづら。相田きてんじゃん(笑)て。

まだ公演中&こういうライブについてひとつひとつのネタにつっこんだ感想を書くことが苦手なので、初日を見終えてすぐの雑感を書き記しておきたいと思います。たぶんネタバレはないとおもうのですが、明日観に行く方は念のためお逃げください。
(余談なのですが、単独ライブとかこういうの、初日に観に行くのがすごい好きです。セリフの定着が甘いところがあったり、ほんとうはここでもっとこういう反応予想していたんだろうなあ〜(明日は調整するんだろうな〜)といった、未完成感がおもしろい。お芝居って生ものだなというのがびしびし感じられていいです。)

おもしろかった〜〜〜!

まずさいしょにどうしても言っておきたいのが、パーパーほしのさんがめっちゃよかった、すんごいよかった。(もちろん、弱い4人の演技もすばらしくて、とくに、いきってる塚本さんがもうほんとうにむかつくかんじでよかったです)
キングオブコントだったり、ネタ番組だったりでさいきんパーパーを目にする機会が多いこのタイミングだったからこそのよさというか、お客さんたちもみんな「ほしのディスコのあの感じ」を知っているからこそ、演じられるキャラクターが弱いことを言うたびに「待ってました!」な笑いが起こるのがほんとうによかったです。今回最弱なんじゃないでしょうか、ほしのさん。特にほしのさんのキャラのインパクトが強かったのですが、後述するやさしいズたいさんやモグライダー芝さんも「らしいな〜」と思うキャラクターだったので、あてがきの妙、というのもあるのかも。

逆に、今回最強だったのはモグライダーの芝さんだったとおもうのですが、以前、ライブでトップリード新妻さんの書いたコントを演じている芝さんのスーパー台本スティック読み演技を見たことのある身としてはそのへんも楽しみポイントでした。

ちょっとびっくりしたのが、設定の説明だったり、物語を進めるための台詞といったコント特有の台詞はまわりにくらべるとすこし言いまわしのかたいところがあってにやにやしながら見ていたのですが、ツッコミやボケのセリフになると、とたんに自然体になって「いつもの芝さん」になるんですよね。ふつうに端っこで他のメンバーのやりとりを笑いながら見て、笑いながらつっこんだりボケたりしている様子がふだんのライブでの平場でのそれで。天性のお笑いマンじゃん……!(お笑いマンって称号、超恥ずくないですか???)
あと、ずっと前髪を下ろしていたため「俳優の色気の人」でした。俳優の色気〜

そんな芝さんとやさしいズたいさんが公演全体を通して「強い人」だったのですが、「強い人」の2人にも強さの住み分けがなされていて、たいさんは「コントの文脈の中で強いことを言う人」、芝さんは「コントの外側からお客さんと同じ視点でものを言う人」(ツッコミって言うんだよ、そういうひと)だったように思います。そしておそらく、墨井さんもどちらかといえば強い人で、墨井さんは「そもそも文脈とか読まない人」。強い人のなかでも、たいさんより墨井さんや芝さんのほうがずっと強く見えました。もしかしたら人って、空気を読みすぎると弱くなるのかもしれない。

 強い人の強さにも種類があるように、弱い人たち4人の弱さも四者四様でバリエーション豊かなのだけれど、「強度」という尺度は暴力的で、どんな種類のものであっても、一列に強い、弱い、と並べられてしまう。そんななかで、強さ、弱さはそれぞれの個性と状況が組み合わさったときに簡単に上下がいれかわる、その上下関係の変化の様と、変化を起こすための状況のつくりかたとが鮮やかでした。

ひとつだけ、これは台本なの?ほぼアドリブ???と気になるネタがあって(なんといってもあの芝さんがずっといつもの芝さんだった、地下界ナンバーワンMC)、そこまでネタがバレないようにいうと、クイズのネタだったのですが、そのクイズが先ほどまで演じられていたお芝居を何度も何度も巻き戻して行われるもので、そういえば、そもそも「お芝居をすること」自体を扱ったネタがいくつかあって、それは玉田さんっぽいなあと素人目ながらに思ったのですが、そのクイズネタが最終的に正解がなんであったのかを発表しなかったのが、とてもこの公演全体を象徴しているような気がしました。実はあのお芝居の中にこんな風に、クイズの正解が隠れていたんですよ〜という明確な答えがない。答えがあれば、「ああ!」とアハ体験的な気持ち良さがあったのかもしれませんが、正解発表がない、というか、そもそも明確に「正解」というものがないような、曖昧な感じがよかったのです。というのも、すべてのコントたちにおいて、それぞれの強さ、弱さのパワーバランスがあまりに些細な要素によって移ろってしまう中で、じゃあ、「弱い人たちの弱さの上下関係が変わるような出来事が起こったとして、それが彼らの人間関係の根幹を揺るがすか?」と聞かれれば、きっとそれは変わらない。彼らは弱く、優しいから、お互いの弱さを肯定して、弱い人たちは弱いままでいられるように努めると思うのです。
でも、何かが起こったのに、弱い人が弱さを脱却して強い人にならない、ということはもどかしくもあって。そのもどかしさがそれぞれのコントのオチ後の余韻になっていたように思います。すべての出来事が有機的に繋がって明確な何かを生み出すのではなく、彼らは弱い人のまま。だってあくまでこれは、「しあわせになりたい」であって、「しあわせになる」ではないのだから。何かが解決してしまってはいけないのです。きっと。
明確に伏線を回収してその巧みさに拍手をするだとか、そういうことじゃなくて、曖昧に、きれいに回収されないまま、弱い人たちの弱さがそのままそこにあって、強い人たちだって強いままで、でも、強さ弱さは絶対的なものではないんだよ、と曖昧なものを肯定する優しさ。クイズにはっきりとした正解はいらないとする態度。それは強さと呼んでもいいのかもしれない、と少しだけ思いました。